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谷口雅春先生の足跡

 

生長の家創始者・谷口雅春先生は、明治26年11月22日、兵庫県神戸市・烏原村にお生まれになりました。早稲田大学文学部英文科中退後、真の神を求めて、一時、大本教に入るなどして霊的な修行をつまれます。

そして、昭和4年12月13日深夜、瞑想中、神から「今起て!」との啓示を受けられたことを機に、月刊誌『生長の家』1000部を自費出版されます。この『創刊号』の発刊日が昭和5年3月1日となっていたため、生長の家ではその日もって「立教記念日」と称しています。

その教義は総称して「唯神実相哲学」と言われ、「人間・神 の子」「実相一元・善一元の世界」「万教帰一」を主な柱とし、ただ本当に実在するものは神と神のあらわれたもののみである、との徹底した光明思想に貫かれ ています。そして、この月刊誌を読んだ人の間から、数々の奇跡的な体験が陸続として生まれ、いつしかこの月刊誌は読者の間で『神誌』と称されるようになり ます。この『神誌』に発表された論文が、昭和7年にまとめられ、『生命の實相』が誕生いたします。

昭和10年には、その購読者を組織して教化団体生長の家が創設され、全国各地に支部が設立されていきます。また、生長の家の講演会も各地で開催され、いずれの会場とも大盛況で教勢は大いに進展していきました。

大東亜戦争の勃発とともに、谷口雅春先生は「皇軍必勝」のスローガンの下、金属の供出運動や勤労奉仕等、教団を挙げて「大東亜解放」の目的遂行のために全面協力していかれます。それを支えた精神的支柱が、所謂「天皇信仰」の教えでありました。

しかし、大東亜戦争は敗北。それに続く占領 政策によって、谷口雅春先生は執筆追放にあわれます。しかし、昭和24年、先生は、宗教法人・生長の家教団として組織の再構築をはかられ、それ以降、「人 類光明化運動」「日本国実相顕現運動」を二大スローガンとして大いに運動を推進していかれます。とりわけ特筆されるべきは、「日本弱体化」を狙った占領政 策を払拭すべく、祖国再建に向けた運動を先頭に立って率いていかれたことであります。全国各地をご巡錫される一方、次から次と『愛国書』を世に問い、戦後 の愛国運動の支柱としてその地位は年ごとに揺るぎないものとなっていきました。

その具体的な成果として実ったものが、「建国記念の日」の制定であり、元号の法制化でありました。しかし、残念ながら、谷口雅春先生が心から願われた正統憲法の実現、優生保護法の改正は日の目をみることができないままに終わりました。

その悲しみを胸に、谷口雅春先生は人生最後の情熱を生長の家総本山のご造営にかけられます。そして、この地に「七つの燈台」を建立され、生長の家の根本教義が奈辺にあるかをここに刻まれたのでありました。

・天孫降臨皇御国成就燈
・伊邪那岐文化成就燈
・伊邪那美文明成就燈
・三界万霊悉皆実相開顕成仏燈
・万物一元万教帰一成就燈
・地上天国世界連邦成就燈
・君民一体地上天国成就燈

この「七つの燈台」に刻まれた碑銘こそは、谷口雅春先生の説かれた「み教え」の神髄であり、原典であり、そしてご悲願そのものであるといわなければなりません。谷口雅春先生の弟子として常に拳々服膺しなけれはならないものであります。

谷口雅春先生は、最後に「病無し、迷無し、罪無し。これが生長の家の根本の真理であります。それでは神様、ただ今より眠らせていただきます」とのお言葉を遺して、昭和60年6月17日、午前7時53分、91年のご生涯を閉じられたのでありました。

 
解脱名(戒名)「實相無相光明宮大真理説授正思惟大聖師」

参考サイトの紹介

 
生長の家 社会事業団 護法の運動

 

「護法の運動」は、谷口雅春先生の大東亜戦争についてのお考え等を知る上で、

貴重な情報が得られますので、ご紹介します。

 
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