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谷口雅春先生の教え

<真理解説>

み教えキーワード②「神の三義」

 
「万教帰一の神示」に、「われに姿かたちあるように言うものあれどもわれは姿なきものである。 われは道である、われは霊性である、智慧である、愛である、生命である、われは如来である、われは一にして多である」とあります。神示でありますから、ここで「われ」というのは神御自身のことであります。
このように、宇宙大本源の神様には姿形がありません。しかし、姿形なき本源神としての超越的な絶対者は、普遍的な法則として宇宙に静かに充ち満ちているだけでは、その本質である愛を成就することはできないのです。
それ故に、絶対者の慈悲を体現したところの、相対的に現われる人格神、または天使、または菩薩が現われなければならないのであります。つまり、神が救済を成就しうる本当の神となるためには、超越的絶対神が相対的人格神として現われ給うて、救済の御業を現実になされなければならないのです。人を救うためには、神の救いの霊波が人格的に現われられる必要があるのであります。
「第一義」という言葉は、本来の意味においてということでありますから、宇宙に満ちておられるところの姿形が見えない、無相の神様が第一義の神であります。
「第二義」の神というのは、その第一義の無相にして無限相の神様が、相対的人格神として現われ給うた姿であります。どこにでも満ち満ちておられる神様が、例えば「阿弥陀如来」として出てこられたり、「住吉大神」として出てこられたり、あるいは「観世音菩薩」として出てこられたり、いろいろの仏様になって出てこられるのであります。これを、化身の神様とも、方便身の神様ともいうのであります。
また、神は自己の個性的な顕現をもって、自己内在の無限を表現し給うのでありますから、同一個性をもって万物が現われることを嫌い給うのであります。それゆえに、絶対者としての無相の神様が、一神即万神としていろいろの使命を持つ神々を顕現し給うのであります。
「第三義」の神様は、霊魂の神であります。霊魂の神というのは、物質ではない一種の幽質で出来ている幽体といわれる体があって、神社に神様としてお祀りされている、神格を得た人間の霊魂であります。
乃木神社に祀られている乃木希典大将、東郷神社に祀られている東郷平八郎元帥、太宰府天満宮に祀られている菅原道真公などの霊魂であります。このような霊魂の神は、個別の霊でありますからそれぞれ個性があります。それぞれ神様としての職責が異って、性格も異なります。したがって受持が異なるわけで、全能というわけではありません。その神様に、何でもかでも祈ればきいて下さるという訳には行かないのであります。霊魂の神も神様ではありますけれども、「宇宙の大神」ではないのであります。
しかし、宇宙の大神の一つの表現の中心として、個性的に現われていられるという意味においては、私たちが神の子であるということと同じであります。
このように、神様の現われとして「三義」の意味があるのでありますが、これはあくまで人間の側から見た分類であります。
生長の家の本尊神は、住吉大神であらせられますが、その現わ れの面から言えば応化神であって「第二義の神様」であります。しかし、第二義というものが第一義とはなれてあるのではなくて、第一義の中に第二義が包まれていて、具体的な救済の手をのべるためにあらわれて来られるのであって、第一義の神様が救済の手をのべる働きとして、人格神として現われられたのが住吉大神であります。
観世音菩薩、久遠のキリスト、七つの燈台の点燈者、白髪白髯の翁も、みな同じことであります。
 
(「谷口雅春先生を学ぶ」平成23年2月号)
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