〝朝は希望に起き、夜は感謝に眠る〟と言いますが……
宗教法人「生長の家創始者谷口雅春先生を学ぶ会」
副代表 前原幸博
《朝の時間を利用するものは一日を生かすのである。毎日朝の時間を利用するものは生涯を生かすのである。…諸君の家庭が「生長の家」であることを欲するならば、この朝の時間を大切にせよ》(新編『生命の實相』第12巻7~8頁)
人類に灯(とも)された最初の福音、それは「朗(ほが)らかに笑って生きる」(『生長の家』誌・創刊号)。それが『生命の實相』「生活篇」に編(あ)まれた際には2番目に置かれます。それに替わって冒頭に掲(かか)げられたのは「朝の時間を生かせ」。
「朝」という漢字は〝十月十日〟と書きます。〝十月十日(とつきとおか)〟で赤ちゃんは生まれる。毎朝、私たちは新たに生まれるのです。また「朝」は〝明るいに+(プラス)+(プラス)〟とも書きます。朝は明るい心で、それに+(プラス)して+(プラス)思考(無駄なものは一つもない。全ては相働きて益となります。-(マイナス)は必ず+(プラス)になります)で生きていきましょうという意味でもあります。
〝朝は希望に起き、昼は愛行(あいぎょう)に生き、夜は感謝に眠る〟という言葉があります。しかし、朝も感謝で起きる……。山形教化部長時代に出会った加藤力(ちから)さんの言葉が忘れられません。80歳となって朝を迎える度に、今日も生きて朝を迎えることができた、もうそれだけで有難い。隣の家内はどうだろう?そう思ってそっと脈を診(み)る。家内も生きて朝を迎えることができた。それが朝々の喜びになっている……。
新版『女性の幸福365章』にこうあります。
《朝、目覚めたとき、神に次のように祈るがよいのである。「神様、ねている間も安全に健康にお守り下さいましてありがとうございます。また、今日このように素晴しい朝の目覚めを与え給うたことを感謝します。今日一日神様の善き智慧にみちびかれて幸福と健康と、繁栄の生活を送らせて頂きますように。」こう祈ってから静かに神の智慧が流れ入りつつあることを数分間、心のうちで凝視するのである》(71頁)
『本所おけら長屋(七)』(畠山健二・著)にこんな話が出てきます。舞台は江戸。大火で両親を失い、姉妹は離ればなれに。姉は旅芸人一座に引き取られ、血のにじむような努力の末にその座長に。妹は捨て子同然に扱われ過酷な環境に育ち、そのまま悪の道へ。十余年の年月を経て二人は再会します。そのとき、姉が妹に言う……。
〈私は、ひとつだけ心がけていることがあるんだ。毎朝、澄んだ心でお天道様を見上げることさ。もちろん雨の日だってある。でもね、毎日を一生懸命に生きれば、必ずお天道様が顔を出してくれる。裏切られたことなんか一度もないよ。あんたは気持ちのいい朝を迎えたことがあるかい。あるはずがない。人っていうのはね、毎朝、笑顔でお天道様を見上げることができなきゃいけないんだよ〉(同書183頁)
「裏切られたことなんか一度もないよ」お天道様を信じていればこそのセリフではないでしょうか。この世は不条理だらけ。納得のいかないことばかり。この世を苛(さいな)み、呪(のろ)い、怨(うら)む妹の暗い心に、お天道様の光が差す……。妹は見事に立ち直ります。
「信仰とは何ですか?」そのとき、お天道様を信ずる……。《神の善意を信ずることである》(『如意自在の生活365章』59頁)と応(こた)えてみてはいかがでしょうか。
(月刊『谷口雅春先生を学ぶ』令和3年1月号より)
副代表 前原幸博
《朝の時間を利用するものは一日を生かすのである。毎日朝の時間を利用するものは生涯を生かすのである。…諸君の家庭が「生長の家」であることを欲するならば、この朝の時間を大切にせよ》(新編『生命の實相』第12巻7~8頁)
人類に灯(とも)された最初の福音、それは「朗(ほが)らかに笑って生きる」(『生長の家』誌・創刊号)。それが『生命の實相』「生活篇」に編(あ)まれた際には2番目に置かれます。それに替わって冒頭に掲(かか)げられたのは「朝の時間を生かせ」。
「朝」という漢字は〝十月十日〟と書きます。〝十月十日(とつきとおか)〟で赤ちゃんは生まれる。毎朝、私たちは新たに生まれるのです。また「朝」は〝明るいに+(プラス)+(プラス)〟とも書きます。朝は明るい心で、それに+(プラス)して+(プラス)思考(無駄なものは一つもない。全ては相働きて益となります。-(マイナス)は必ず+(プラス)になります)で生きていきましょうという意味でもあります。
〝朝は希望に起き、昼は愛行(あいぎょう)に生き、夜は感謝に眠る〟という言葉があります。しかし、朝も感謝で起きる……。山形教化部長時代に出会った加藤力(ちから)さんの言葉が忘れられません。80歳となって朝を迎える度に、今日も生きて朝を迎えることができた、もうそれだけで有難い。隣の家内はどうだろう?そう思ってそっと脈を診(み)る。家内も生きて朝を迎えることができた。それが朝々の喜びになっている……。
新版『女性の幸福365章』にこうあります。
《朝、目覚めたとき、神に次のように祈るがよいのである。「神様、ねている間も安全に健康にお守り下さいましてありがとうございます。また、今日このように素晴しい朝の目覚めを与え給うたことを感謝します。今日一日神様の善き智慧にみちびかれて幸福と健康と、繁栄の生活を送らせて頂きますように。」こう祈ってから静かに神の智慧が流れ入りつつあることを数分間、心のうちで凝視するのである》(71頁)
『本所おけら長屋(七)』(畠山健二・著)にこんな話が出てきます。舞台は江戸。大火で両親を失い、姉妹は離ればなれに。姉は旅芸人一座に引き取られ、血のにじむような努力の末にその座長に。妹は捨て子同然に扱われ過酷な環境に育ち、そのまま悪の道へ。十余年の年月を経て二人は再会します。そのとき、姉が妹に言う……。
〈私は、ひとつだけ心がけていることがあるんだ。毎朝、澄んだ心でお天道様を見上げることさ。もちろん雨の日だってある。でもね、毎日を一生懸命に生きれば、必ずお天道様が顔を出してくれる。裏切られたことなんか一度もないよ。あんたは気持ちのいい朝を迎えたことがあるかい。あるはずがない。人っていうのはね、毎朝、笑顔でお天道様を見上げることができなきゃいけないんだよ〉(同書183頁)
「裏切られたことなんか一度もないよ」お天道様を信じていればこそのセリフではないでしょうか。この世は不条理だらけ。納得のいかないことばかり。この世を苛(さいな)み、呪(のろ)い、怨(うら)む妹の暗い心に、お天道様の光が差す……。妹は見事に立ち直ります。
「信仰とは何ですか?」そのとき、お天道様を信ずる……。《神の善意を信ずることである》(『如意自在の生活365章』59頁)と応(こた)えてみてはいかがでしょうか。
(月刊『谷口雅春先生を学ぶ』令和3年1月号より)