〒103-0004東京都中央区東日本橋2丁目27番9号初音森ビル10階

>サイトマップ

03-5829-6410

TOP > コラム > 「生前」「往生」「命日」から見えてくる世界……

コラム

「生前」「往生」「命日」から見えてくる世界……

  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加
宗教法人「生長の家創始者谷口雅春先生を学ぶ会」
副代表 前原幸博

「これは、生前、故人が使っていたものです」この「生前」、意味としては「故人が生きていたとき」ということになります。であれば、「生前」ではなくて「死前」(死ぬ前)と言わなくてはならない。にもかかわらず「生前」と言う……。

その疑問を解く鍵は唯一つ。「生前」の〝生〟とは、この世のそれではない。あの世、即ち霊界での〝生〟である……。つまり、霊界に生まれる前だから「生前」ということになる。

尊師・谷口雅春先生も、こう仰っています。
《霊界へ霊魂が肉体を脱して行(ゆ)くとき、我々現世に住む人の方から言うと「臨終でございます」と言う訳で、悲しいのでありますが、霊界から言うと霊界への出産予定日だという訳で、霊界へ誕生することなのでありまして、霊界の祖先の霊魂たちが、その予定日を迎えるために待機しているわけであります》(『生長の家』誌・昭和36年7月号76頁)

葬儀では、花が飾られ、棺(ひつぎ)には花が入れられます。その花は何の花か。それは、霊界で新たに生まれる、その〝誕生日花〟であるというわけです。

この世からではなく、あの世、霊界から考えてみて初めてその意味がよく分かる……。

「往生」もそうです。亡くなるのに「往生」〝往(い)って生まれる〟というわけです。どこに往くのか。あの世です。あの世に往って生まれるから「往生」。

「命日」にしてもそうです。「死んだ日」なのに、どうして「死日」「亡日」と言わないのか。あの世で新たに命をいただく日だから「命日」〝命の日〟だというわけです。

「生前」といい「往生」といい「命日」といい、すべてはあの世があることが前提となっています。

日本人にとっては、次の世、あの世でどう生きるかは、重大な関心事としてあったのです。だから、この世に生まれた「誕生日」以上に、あの世で生まれた「命日」を大事にしてきた……。それが証拠に、「誕生日」は年に1度。でも「命日」の方は、年に1度の「祥月命日」だけではなく、毎月の「月命日」も大事にしてきたのです。毎月、霊牌(れいはい)を出して先祖供養させていただく意義もまたここにあります。

日本人が大切にしてきた、このような死生観、価値観をもう一度、見直さなければなりません。そうでないと、こんなセリフが堂々と罷(まか)り通る世の中となってしまいます。

〈人生はこの世の一回限り。死んだら終わり。だから、好き放題、やりたい放題のことをやる。そして、死ぬ間際に「どうだ見たか。俺は何の罰も受けなかったぞ、ザマアミロ」そう言って死ぬのだ〉

何だか、とてもやるせない思いがしてまいります。そして「そんな生き方をしていたら、あの世で、さぞかし苦しむだろうな」とも思ってしまいます。日本人は、この世がすべてではない、ちゃんと次の境涯があるということを弁(わきま)えていました。それを念頭に入れて、この世をどう生きるべきかを考えてきたのです。

〝蛹(さなぎ)としての終わりは蝶(ちょう)としての新たなはじまり〟。

死ぬことを〝一巻の終わり〟というのは、〝第二巻〟という続きがあるからこそです。続きのある人生ドラマ。主人公は勿論(もちろん)、あなたです。そしてあなたは〝名優〟です……。


月刊『谷口雅春先生を学ぶ』令和3年7月号より
  • LINEで送る
  • このエントリーをはてなブックマークに追加

宗教法人「生長の家創始者谷口雅春先生を学ぶ会」

〒103-0004 東京都中央区東日本橋2丁目
27番9号 初音森ビル10階

03-5829-6410

FAX 03-5829-6411

 

谷口雅春先生の真理の言葉

光明思想社