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コラム

「おめでたです」と笑顔で祝福される国づくりを

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宗教法人「生長の家創始者谷口雅春先生を学ぶ会」
副代表 前原幸博

〝受胎〟といい、〝授かる〟といい、〝生まれる〟といい、それを意味する英語「I was born」といい、すべて受け身です。受け身ということは、受(う)け容(い)れるということと同義でなければならない……。

新しい生命が宿ったとき「おめでたです」と言います。「おめでた」なのは、そこに神様の御心(みこころ)があらわれたと見るからこそではないでしょうか。それを素直に〝愛(め)でる〟ことができなければ、それはとても〝悲しい(神無(かな)しい)〟……。

去る7月13日(「生命尊重の日」)、「谷口雅春先生を学ぶ会」として初めて、一般霊牌とは区別して「流産児大供養祭」を執り行わせていただきました。執り行うにあたり、私の心に去来したものは、流産児は、一体、私たちに何を訴えかけているのかということでした。そのときに、フト脳裏をよぎったのが、中絶することを女性の当然の権利として主張するご婦人たちの、この言葉でした。「生む、生まないは女性の権利」

この権利の主張は、結局は、自分たちにとって都合の良い、身勝手な思いを「権利」と称して、すべてを正当化しようとする考え方ではないのか。
そして、この考え方は、先般、問題になった夫婦別姓にも相通ずるものがある。夫婦別姓とは、煎(せん)じ詰(つ)めたところ親子別姓に他なりません。
親の身勝手な都合によって、結局、苦しむのは子供たちなのです。だって、父親、母親、そのどちらの姓を名乗るか――子供たちはそれを決めなければならないからです。その子供たちの悩み苦しむ姿を目(ま)の当(あ)たりにして、はじめて、自分たち親が如何(いか)に身勝手であるかを思い知らされる……。

夫婦別姓は、このように眼前に具体的に見える形で問題が現れてくる。
しかし、人工流産は、お腹(なか)の中にいる生命が相手ですから、外からは見えません。見えないものは、ナイことにしていいのか。
そこに命があるのに、その命が見えない。ただ、見えないだけではありません。その見えないいのちが声をあげているのに、その声が聞こえない。見えない、聞こえない……。

昭和48年、尊師・谷口雅春先生はこういうお歌を詠(よ)まれました。

〝戦後ころされし胎児五千萬 啾々(しうしう)として泣く聲(こえ)きこゆ〟

この声を聞くことができるかどうか。
先祖供養において、一般霊牌の供養は、ただご先祖さまへの尊敬と報恩・感謝の心で供養させていただく。
それに対して、流産児の供養は、愛と懺悔(ざんげ)の心が大事であると教えられています。ここに言う懺悔とは、流産児の、その声を聞くことができなかった……。否(いな)、聞こうとしなかった……。そのことをこそ懺悔すべきなのだと思います。

《人工流産は、折角(せっかく)生まれ変(かわ)る必要を感じて受胎して来た霊魂を強制的に霊界に復帰せしめるのであるから、これは大変な霊魂に対する冒瀆(ぼうとく)であり、大いなる罪を重ねしめることになるのである》(新版『人生を支配する先祖供養』66頁)

人は、何故(なぜ)、受胎するのか。〝生まれ変る必要を感じ〟たからこそなのです。その折角の機会を勝手に奪い取る「権利」が果たして私たちにあるのでしょうか。
「胎児の命を守れ」と仰(おっしゃ)った尊師のお言葉が改めて身に沁(し)みてまいります。そのお言葉を肝に銘じ、先祖供養、流産児供養に今後とも真心込めて取り組んでまいりましょう。

月刊『谷口雅春先生を学ぶ』令和3年9月号より
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