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コラム

「上から目線」を「神から目線」に、“人格”を“神格”に

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宗教法人「生長の家創始者谷口雅春先生を学ぶ会」
副代表 前原幸博

〈大きな被害が出なかった時の警報や避難行動を「空振り」と呼ぶからよくない、「素振(すぶ)り」と考えればいい〉(京都大学・防災研究所の矢守克也教授)

「空振り」と観れば、それは無駄に映る、次に繋がらない。しかし、「素振り」と観れば、それは決して無駄とはならない、次に繋がる。『如意自在の生活365章』にこうあります。

《すべてあなたの人生に課せられたる修行には無駄なものは何一つないのであって、すべてあなたの魂の修練のためなのである。それをいかに受け取るかによって、魂が向上したり、堕落したりするのである》(242頁)

「無駄なものは何一つない」そのように「受け取る」とき、言葉遣いが変わります。言葉が変われば、観方(みかた)が変わる。観方が変われば行動が変わる。行動が変われば運命が変わる……。だから、よき言葉遣いが運命を変えるのです。

 周りを見下すのを「上から目線」と言います。どうして、そういう物言いになってしまうのか。“私は悪くない症候群”にかかっているからです。何か悪いことがあれば、これ、すべて人のせい、環境のせい、政治のせいにする。実は、立教される以前の尊師がそうでした。新編『生命の實相』第5巻「生命篇」にこうあります。

《インキ壺をひっくり返してでも…「お前がこんな所へインキ壺を置いておくものだからインキが引っくりかえったのだ」…終(しま)いにはこれは自分が悪いのではない、親が私の性格をこういうふうに生んだのだなどとまで思ったりする、…何事が起っても悪いことはみんな他(ひと)の所為(せい)にし、皆他(ひと)に責任を負わしてしまって、自分だけは責任のがれをしようと思う》(131頁)

当然、そうであれば「三界は唯心の所現」――運命、境遇も善くはなりません。
《人を恨(うら)む、その癖(くせ)自分は同情されたい。その間じゅう私は神経衰弱で、不眠症になったり胃が痞(つか)えたり、下痢したり、震災に会ったり、泥棒に二度も這入(はい)られたりしていました》(同133頁)

それでは、尊師は、どのようにして、そのような症状、不遇、不運等を克服していかれたか。続けて、こうあります。
《人間というものはそんな他から支配されるような土偶人形(でくにんぎょう)ではない、自主独立的な神の子である、…こうして自己の神性の自覚が出来まして、呟(つぶや)きが減って来ますと、私の身体(からだ)も健康となり、以前には随分虚弱だった私が…二重三重の激務に従事出来るようになって来ました》(同133頁)

まさしく、この“神性の自覚”こそが「上から目線」を「神から目線」に変え、“人生を神生となし”ていく唯一の道なのです。新版『生活の智慧365章』にこうあります。
《人生の目的は最高の神の自己実現として、人格を神格(しんかく)にまで高めることである》(185頁)

そのために、今、吾々が心すべきこととは何か。それは常に、「神から目線」に立って、こういうとき、神様であればどうなされるであろうかと神様の“素振(そぶ)り”をしてみる……。そこからはじめてみては如何(いかが)でしょうか。

(月刊『谷口雅春先生を学ぶ』令和2年11月号より)
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